「遙かな友に」の誕生

 早稲田大学の男声合唱団グリークラブを指導していた磯部俶さんは、合唱コンクールの結果を受け合唱の技術をさらに高めるため、昭和23年から合宿を始め、昭和26年の夏には、当時の津久井郡青根村にある道志川渓谷の夫婦園キャンプ場で合宿することを決めました。
 部員たちは一軒家を借り自分たちで持ち込んだ米や味噌で自炊をしながら、目の前を流れる道志川の清流で獲れる「あゆ」をおかずに合唱の練習を続けていたそうです。新宿駅に貴重な「たくあん」の入った樽を置き忘れ、部員が半日かけて取りに戻った苦いエピソードも聞かれます…
 
 毎晩のように就寝前に枕の取り合いによる騒動となり、上級生たちが頭を悩ませ、磯部さんの部屋へ相談に行き、寝る前の静かなひとときをつくるため、ぜひ部員に曲をつくってほしいとお願いし、磯部さんが即興的に作詞・作曲し「遙かな友に」が誕生しました。
 上級生たちは、出来上がった曲に大変喜び、練習を重ねてほかの部員に歌声を聞かせたところ、その晩から騒ぎもなく静かに眠るようになったそうです。
 当初は作詞者を『津久井青根』としていたそうですが、テレビ局等からたびたびの問い合わせにそうもいかなくなったようです。
 平成23年は「遙かな友に」の誕生から60年になる節目の年となりました。

第1陣として合宿へ参加した早稲田大学男声合唱団グリークラブの皆さん。後ろに写るボンネットバスにもご注目ください
夫婦園裏に流れる道志川沿いで発声練習
夫婦園の庭で「ミーティング中でしょうか?」

当時の「夫婦園キャンプ場」
道志川に架かる「つり橋」
 
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